【連載:数学と言葉】第2回 数の言葉使いその2 数と数字のちがい説明できますか

数と数字

どちらも小学校で習う基本的な言葉であるにもかかわらず、その違いを明確に理解している日本人は多くありません。
そもそも2つの言葉の意味の違いを教わる機会はほとんどなく、数学の試験にも、国語の試験にも「数と数字の違いを説明せよ」という問題が出題されることはほとんどありません。

「数は概念であり、数字はその概念を表す文字のことである。または、数はイデアの存在で、数字は形ある存在」

これが答えです。この答えを読んですぐに理解できる人は相当な実力の持ち主です。
筆者がさまざまなところのこの話をすると、きまって相手からポカンとした反応がかえってきます。
「数と数字の違い」という問い自体がはじめてなので、いきなりその答えを知らされても理解が追いつかないのです。

「数字を使える営業マンが数字を作る」
「数字に強い理系、数字に弱い文系」
「視聴率、内閣支持率という数字」

世の中は「数字」であふれています。しかし、本当にそうでしょうか。3つの例文はどれも本来の意味での「数字」の使い方に誤りがあります。
営業マンにとっての数字とは営業成績のことであり、理系が本来強いのは数です。さらに視聴率や内閣支持率は数値です。
かくして、数には「数」と「数字」と「数値」の3つの形態があるのですがその違いは「数字」という言葉に溶けてなくなってしまっているのです。

数字の発明

約5000年前のエジプト文明、約4000年前のメソポタミア文明のバビロニア、約3000年前のマヤ文明、約3000年前の黄河文明の古代中国、約2500年前の古代ローマなどでそれぞれ数字が考え出されました。

0,1,2,3,4,5,6,7,8,9というアラビア数字は、もともとインド人によるインド数字がアラビア、そしてヨーロッパに渡り広まり発展してきたものです。ギリシャ数字や漢数字は筆算には適していません。それに対してアラビア数字は筆算するのに適しています。それが十進位取り記数法と「0」という数字をもったアラビア算用数字と呼ばれる所以です。

数字にとってグーテンベルグの活版印刷の発明は決定的でした。それまでの商売や貿易では手書きの数字が用いられていたので、勝手に数字を書き換えられてしまいます。これではまともな商売が安心してできません。活版印刷による印刷された数字は、商取引をはじめ社会全体に大きな影響を与えました。まさにイノベーションだったのです。はたして、アラビア算用数字は世界中に広まっていきました。

数の発見

1という数自体はリンゴ、鉛筆、物差し、砂糖、時間そのものではありません。数は考え方です。その数という考え方を表すための象徴・記号・形が数字なのです。リンゴと鉛筆をじっとながめる時、その思考の中に現れるのが1という数です。目に見える「数字」目に見えない「数」は私たちの心の中にあるといえます。人類が見えない1という数を発見するのに長い時間が必要でした。数十万年の人類の歴史の中で数が発見されたのがほんの二千年前にすぎません。この見えない「数」の世界の大冒険こそ数学なのです。

社会に必用な数値

物の量を測るときに必要になるのが「数」と「単位」です。リンゴ1個、鉛筆1本、物差し1m、砂糖1kg、時間1秒さらには1番目というばらばらな量に共通するのが「1」という数です。1という数のおかげで物の個数や量、順序を表すことができます。数は何にでも使うことができるとても便利な考え方なのです。数+単位で表されるのが「数値」です。

見える数字、見えない数

数と数字と数値の区別は思いのほか簡単ではありません。ましてや意識して使い分けることはさらに難しいです。「数字」が3つの中で飛び抜けて使われるのは致し方ないことです。

その理由は簡単。数字は目に見える形・モノだからです。オフィスで配られるモノはコピー用紙であり、そこに印刷されるのが文字や数字です。プリンター用紙にはインクがのって数字ができあがります。テレビの画面に映し出される数字も見える映像です。

数とは概念です。したがって目で見ようとしても見ることができません。重さもなければ色の臭いもありません。図形についても同じことがいえます。直線とは、両端が無限に延びて端点をもたず、長さだけがあり幅がない幾何学的対象(図形)です。そして点とは、大きさをもたず位置だけをもつ存在です。すなわち、直線も点も概念です。

最終的に目に見える「数字」だけを見ていては単なる動物です。私たち人間が持つ力、それは見えないものを見る力です。
リンゴとミカンというまったく独立な存在の背後に共通の1という数をみつけるまでに、わたしたち人類は数十万年におよぶ長い時間を必要としました。

小学校1年生の算数教科書「さんすう1」

小学校1年生の「さんすう1」の最初の見出しが「かずとすうじ」です。そのことを大人になっても覚えている日本人がどれだけいるでしょうか。
ここで上記で説明した数と数字の説明が見事になされています。絵だけでその本質が表されているのです。

小学校の算数の問題は数に単位がついた数値を扱い、中学、高校と進むにつれて単位がない数を扱うようになります。さらには具体的な数の代わりにxやyといった新しい考え方「代数」が登場し、そのxとyの関係である「関数」という考え方にまで至ります。いつしか算数はカンタンで数学は難しいといったイメージが定着してしまいました。

もっとも難しいことが「さんすう1」の最初に登場しているのです。人類がこの教科書をつくるまでに要した時間は数百万年です。もし算数がカンタンならもっと昔にこの教科書はつくられているはずです。

見えない存在に気づくことがどれほど大変であったか。見えない存在になれるまでどれほど時間を要したことか。かくして、見える数字が数千年かけてデザインされました。数字の絶大な偉力のおかげで、数は見えない存在であるということが隠されてしまうほどになったと言えます。

「数字」を見たり聞いたりしたら…

メディアにおける数と数字と数値は数字に統一されて使われます。私が本や連載を書くときは、数と数字と数値を使い分けて書きます。すると編集者にこの使い分けについて問い合わせがあることが多々あります。そのときにメディアでは数字に統一するというルールをおしえてもらいました。

なるほど、です。使い分けは非常に難しいので一般に使い分けをルールとすることは非現実的です。メディアでは読者や視聴者が受け取るのは、見える(聞こえる)数字なのです。

ざっくりいうと、数字と伝えられる正体は数値がほとんど、少しだけ数、そして最後に数字です。
「数字」と言われる「売上」「視聴率」「感染者数」「得点」「偏差値」などはすべて「数値」です。「数字を足し算する」は本来は「数を足し算する」です。数字はたし算できません。数がたし算できます。これも「さんすう1」を学べばわかることです。
「数字」が本当に「数字」を表すのは次のような場面です。アナウンサーが指でフリップに書かれた数字を指して「このように数字が示すように…」と言う場合には、指で指しているのは間違いなく印刷された「数字」です。

「この数字があらわす数をたし算してみましょう」
「ここにある数字から数値が増加していることがわかります」
と言えば正しい「数字」「数」「数値」の使い方です。しかしこれでは面倒すぎます。数字に統一した方がわかりやすい。言葉の使い方は正しければいいというわけではありません。手短にはやく伝えることも大切です。

「数字」と見聞きしたならば、それは「数値」「数」「数字」のどれを表しているのだろうかと考えてみてください。これは大人のための「さんすう1」の練習問題です。

数学ほど役に立つものはない

メディアは数字があふれています。それに対して数があふれているのが数学です。数学は数字学ではありません。イデアとしての数を頭の中でハンドリングする技術が数学です。驚くべきことに見えない数の世界には驚くべき法則が存在します。人類はその法則を二千年かけて発見してきました。

はたして、数学は20世紀に電子計算機をつくりだすことに成功しました。PC、スマホと言い方がかわっても正体は電子計算機です。スマホを手に握りYouTubeやメールを使い・楽しむ時に想像してみてください。この中に数千年の数学が見事に織り込まれているなんて、と。数がイデアの存在であることの絶大なるリアリティが手に握るスマホなのです。

執筆者プロフィール

桜井 進(さくらい すすむ)

1968年山形県東根市生まれ。サイエンスナビゲーターⓇ。株式会社sakurAi Science Factory 代表取締役CEO。東京理科大学大学院非常講師。東京工業大学理学部数学科卒。同大学大学院院社会理工学研究科博士課程中退。小学生からお年寄りまで、誰でも楽しめて体験できる数学エンターテイメントは日本全国で反響を呼び、テレビ・新聞・雑誌など多くのメディアに出演。著書に『雪月花の数学』『感動する!数学』『わくわく数の世界の大冒険』『面白くて眠れなくなる数学』など50冊以上。
サイエンスナビゲーターは株式会社sakurAi Science Factoryの登録商標です。
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